先日、フジテレビで「ザ・ベストハウス123」のとう番組で茂木健一郎氏の天才脳シリーズ第2弾「セレンディピティ」スペシャルなるものをやっていた。
セレンディピティとは
---------Wikipediaより抜粋-------
何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指す
---------Wikipediaより抜粋終-------
録画をはしょりながら見ていたが、茂木氏が脳のしくみを説明する場面にはちょっと聞き入った。マインドマップを描くと次から次へと一見関係のないことが浮かんできて繋がっていく。それを続けていくと、時に”閃き”が生まれるのだが、まさにこの時の状態は「セレンディピティ」なのではないかな、と。
脳の中で、失敗を含めた今までのいろんな経験が結びついて閃きが起こるとういことは、
→マインドマップを描くことで「セレンディピティ」を起こりやすくなるのではないか
逆から見れば
→ブレインストーミングでマインドマップを描いても何も浮かんでこないのは、そこに至る経験が足りないのではないか
まとめると
偶然=経験を積み重ねた結果に発見する能力 そして、経験(したことを無駄にしない)=能力ではないかな
失敗や成功などの経験を繋げようとする力は、考える訓練や脳や体への栄養や心のゆとり、強いて言えば自然との調和なんかも全部含めて強化できるのだと思います。その訓練にもマインドマップが使えるなということ。
などと思いながら「茂木健一郎 クオリア日記」を昔に遡ってみていたら、2005年の日記に登場する「セレンディピティと観察」という記があった。
”自分の思いこみにとらわれて、虚心坦懐に観察することを知らない人にはセレンディピティは訪れない”
中略
”自分の思いこみにとらわれて、虚心坦懐に観察することを知らない人にはセレンディピティは訪れない。経験主義対観念論の対立的図式で片づけられることではない”
とあって最後に次の一文でその日の記を締めくくっている
”ここのところ、夏目漱石の『三四郎』が好きで仕方がないのだが、読み返してみると漱石が観察の人だったことがよく分かる”
私は夏目漱石が大好きだが、その理由の一つがそこにあるのかと思った次第。
自分用メモリンク
「セレンディピティ」(serendipity)という言葉の起原について
セレンディピティの成り立ち
2009年2月27日金曜日
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